2011/11/12

景福宮ガイドブック

朝鮮を象徴する景福宮

景福宮は朝鮮王朝を代表する最高の宮殿である。朝鮮を建国した太祖が国の基盤を整えるために最初に手がけた宮殿であり、最古の歴史を持つと同時に、規模も大きく格式の面でも非常に厳格な建築物である。景福宮は北岳山(白岳山)、仁王山、駱山、南山(木覓山)に囲まれており、清渓川の流れる平地に位置している。当時の人は、吉祥の地は良い気運を呼び込むと考えていたので場所の選択には非常に慎重であり、建物は最高の権威者である王が住む空間であるだけに、最大の規模、最高の技術が要求された。

王が臣下とともに国政を運営し、王室の家族と生活する宮殿には、必要な建物が多かった。景福宮の数々の建物とその空間構造は、建造当時から綿密な計画が練られた。宮殿の主な門と建物である光化門(正門)、勤政殿(正殿)、思政殿(便殿)、康寧殿(寝殿)は、南北を軸に直線上に並んでおり、これらの主な建物に付属した建物は各領域の中で左右対称となるよう配置されている。周りは四角く城郭を積み、東西南北には門を設けた。景福宮建築のこのような厳しい秩序と慎みが示す威厳は、礼儀と道徳により国の基盤を整えようとした朝鮮王朝の基本精神に基づいている。宮殿の建物がそれぞれの序列と使い道に見合う規模と形に建てられていて、しかも豪奢(ごうしゃ)でも威圧的でもないのも同様の理由からである。景福宮という名は「万年も輝く大きな福を示す宮殿」という意味を持つ。ここには天の意志を受け継ぎ、民を治め、代々太平な時代を謳歌したいという朝鮮王朝の強い願いと理想が含まれている。

景福宮がもっとも活気に溢れた時代は世宗の時である。世宗は集賢殿を中心に朝鮮の実状に合わせて各分野の学問を研究し、優秀な人材を養成し、民の生活に役立つ様々な技術を開発、制度を整備した。とくに世宗は世界でもっとも独創的で科学的な文字「ハングル」を発明した。ハングルの使い方などを解説するために編纂された「訓民正音」はユネスコ世界記録遺産に登録された。高宗は文禄・慶長の役以降273年間空き地だった景福宮を建て直す過程で330余棟(7,700余間)の建物を建てた。現在、宮殿の随所に敷かれた芝生のある場所は、ほとんど以前は建物のあった場所なのである。大切な文化遺産を復元しようとする持続的な関心と努力により最近康寧殿、交泰殿、乾清宮、泰元殿、興礼門、永斉橋、光化門など主な建物と門、橋が復元された。→ 続きを読む

2011/02/25

韓国の住宅事情

韓国の住宅事情

アパート(아파트:日本のマンション)
アパートはソウルに住んでいる韓国人に最も好まれるタイプの住居である。特に光熱費などの精算、セキュリティー、ごみの処理などが便利で、住居者専用の福祉施設たとえば公園、スポーツジム、読書室(私設勉強部屋)、老人会館(高齢者の憩いの場)などが団地内に揃っている事と、子供や主婦が団地内の様々な活動に参加できるなど暮らしやすい。

ビラ(빌라:小型アパート)
ビラはソウルに住む外国人たちに最も好まれるタイプの住宅であり、韓国の小さいアパートと言える。韓国のアパートは普通団地になっているがビラはエレベーターのない4~5階建が多く1階は駐車場で家の広さもアパートより狭い。最近建てられる高級ビラは家も広く特に西洋のライフスタイル向けの設計になっているのでアパートくらいに人気がある。

連立住宅(연립주택)
2階建ての住宅が繋がった形で1970~80年代に建てられた古いタイプの住宅を意味する時が多い。

多世帯住宅(다세대주택)
一見一戸建ての住宅のように見えるけど1階ごとに1~2世帯が住むようになっていて全体的には2~3階建ての建物。1980~90年代に多く建てられ1世帯当り部屋一つ、厨房一つ、トイレ一つのタイプが多い。

単独住宅(단독주택:一戸建て住宅)
普通2,3階建てで前庭あるいは後庭を持った単独の建物で、賃貸料が高い。韓国在住の外国大使または多国籍企業のCEOなどが主に住んでいて、梨泰院、城北洞、漢南洞、平倉洞に多い。

ワンルーム(원룸:One Room)
海外のスタジオと同じような住居である、台所が別室になっているのもあるが、通常オープンになっているのが普通。大学生または若いサラリーマンに好まれ駅周辺に多い。8~10坪のスペースに部屋と厨房、トイレが着いている。

オフィステル(오피스텔:Officetel)
もともとは簡単な住居施設を備えた事務室であったが、最近は住居用として多く利用されている。主に交通の便利な産業地域にあり、単身赴任のサラリーマンや若い夫婦などが好んでいる。→ 続きを読む 

仁川観光

仁川観光

仁川(인천)はソウルの窓口として1883年に開港して以来大陸と海洋からの列強による近代歴史上の多くのストリーを持っていて、特に清(中国)と日本の覇権争いの場になっていて両国ゆかりの遺産が沢山残っている。

清・日租界地境界階段

開港期 外国人の集団居住地であった租界は、この階段を基準として左側の清国租界と右側の日本租界に分けられる。階段の上側には2002年に中國淸島市が寄贈した儒教の開祖孔子の像が海を見下ろしている。租界は19世紀に西欧列強が東洋に進出するにつれ武力を利用し通商条約を結んだ後に開港場で自国の主権を行使しながら住める領土を確保するための目的からできた地域だった。アジアではイギリスが中国と条約を結んで1845年に外国人租界を設けたのを皮切りに1858年には日本も米国、イギリス、フランスなど西欧の5カ国と通商条約を結び東京、広島、長崎など5箇所に租界を設けるようになり、韓国では1876年に釜山港を始め1880年には元山、1883年9月30日には開港場である仁川の済物捕に日本を始め西欧の国と条約を結ぶようになって租界ができた。

自由公園

仁川開港直後、各国の租界地が設定された後、外国人らによって最初の西欧式公園である各国公園(1888)が応峯山一帯に造成された。これは1897年に建てられたソウルのパゴダ公園(現タプコル公園)よりも9年ほど早く建てられた。

※マッカーサー銅像:自由公園内にあるこの銅像は1950. 6. 25北朝鮮の南侵で国家が累卵の危機に処している時、マッカーサー将軍があらゆる難関を押し切って仁川上陸作戦を強行し、戦勢を変えた業績と、韓国国民の愛情と友情を称えるため、マッカーサー将軍銅像建立委員会が1957. 9. 15自由公園に建立。

日本第一銀行仁川支店

1883年11月日本の第一国立銀行釜山支店の仁川出張所として出発した。1909年中央銀行である韓国銀行が創立されて、第一銀行仁川支店が韓国銀行仁川支店に変わった。ちょっと見ると昔の中央庁の建物に似たところがあるこの建物は、中央ドームを設置した石造単層の後期ルネサンス様式だ。 解放後に調達庁仁川事務所など主人が変わるたびに増築されたり改築されたりしながら、外観が少しずつ変形されたが基本骨格はそのまま維持されている。現在市の有形文化財第7号に指定されている・・・ 続きを読む